2003.3.27-4.1代官山フォトギャラリーにて

20代の頃に舞踏家の笠井叡氏の「天使論」に魅せられて氏に会いにいったところ「むしめがねで太陽の光を集めるとものが燃えるでしょう。ではむしめがねで月の光をあつめると、どうなるとおもいますか。・・・光の雫ができるのです。」という話に衝撃を受け、さっそく満月の晩にためしてみたんですが、雫はいっかなできませんでした。ムムゥ。おそらく霊的な世界を視ることのできる人にしか見えなかったんでしょうねー。
でも、むしめがねで集光された月のイメージはなんともいえず美しかったのでした。その後、テレビのモニターの光を月の光に見立てて植物を撮影してみることにしました。

最初に植物を選んだのは、当時親戚が住んでいた静岡の相良という場所に時々行って、月の出る晩に温室や茶畑、海岸などを徘徊して写 真を撮っていたからです。月明かりの下でみる植物はものすごく美しくみえます。月の光が植物を照らし、光の粒子が植物の表面 に付着していき次第に雫になっていく、というような空想的なプロセスがとてもリアルなこととして体感されるのです。
太陽の光は波動性の光ですが、月の光やテレビモニターの光は粒状性の光としての性質があるようにも思えます。
ラファエル前派の画家が植物や樹木の本当の姿は、昼の太陽光ではなく夜の月明かりのもとでしかわからない、という信条にもとづいて月明かりの夜に何時間も植物や樹木のスケッチをしたという話も納得がいきます。
植物の次には鉱物や貝殻を撮影し、また仕事でたちよった沖縄の公設市場でみかけた動物や魚の内蔵がすごく美しく思えたのでこれもまた撮影することにしました。

「花崗岩よ、おまえは花におなり・・・」とバルザックの小説「セラフィータ」のなかで天界へ旅立つ天使セラフィータが地上のものたちに語りかけていきます。月の光やテレビのモニターのかすかなやさしい光の中では、花のつぼみは昆虫に、動物の内蔵は結晶体に、水晶は液体に、それぞれが変身している夢をみているのでしょう。