日々のあぶく

 

 

2002年11月20日

テストシューティングあれこれ



この業界では、「作品撮り」と称してフォトグラファーやモデルが自分たちのブックのなかの写 真を撮るためにみんなであつまって自主制作をすることがよくあります。 特にモデルさんやタレントさんは日々イメージが変わっていくので最新の資料を持つことはとても重要な営業要素になります。 そんなわけで、ぼくのところにも「作品撮り」をしましょう、とか営業ツール用の作品を撮って、というお誘いがよくあります。フォトグラファーにとっても「作品撮り」というのは、新しいフィルムやカメラをためしてみるいい機会なのです。

土屋仁奈さんはまだ高校にかようお嬢さん。ノンノなどの雑誌の仕事をしたいということなので、僕がよく通 る渋谷のクラブ、ホテル街などで撮影しました。 デジカメのテストをしたかったのでKodak DCS760で撮影。
ここ1,2年の間にプロ用デジカメはすごく進歩しています。デジカメで気になるタイムラグもあまり感じずホイホイ撮れてしまいます。問題は後処理ですが、Kodak製のフォトデスクというソフトはかなり使い勝手がいいですね。ネガでの撮影のようにあまり細かい露出とかライティングソースを気にせずに撮影できるところが便利です。
ST.:笹原みどり HM:吉川繁美

柴田承香さんは元ミス湘南でテレビやレースクィーンのお仕事をしています。それでグラビア系の感じをだした写 真にしてみました。これもKodak DCS760使用。 デジカメは蛍光灯ライティングにも相性はいいようです。ただ、もう少し感度がほしいことと黒バックにして感度を上げたときのシャドウのノイズが気になります。

街田しおんさんは「狗神」「突入せよ、浅間山荘」などの映画に出演する女優さん。昼ドラの「レッド」で見た人もいるのでは。外国の映画関係者ともよく会う彼女はチャイナ服で撮ろうということで、ちょい映画を意識した写 真にしました。ものすごく勉強熱心で、映画のなかでも素晴らしい演技をしている彼女とは、ふだんからとても親しくお付き合いしている間柄なのですが、ちゃんとした撮影ははじめてでした。なぜか、カメラがあるとおたがい「なんかてれちゃうねー」という感じになってしまい、最初は撮影のゾーンにはいりにくかったのです。親しい友人だと時にそんなこともあるんですねー。
コダックポートラ800と今は生産中止になっているフジRSP1600をクロス現像して使用。
HM:吉川繁美

朝本真生さんは地方巡業の多い劇団の仕事をしています。背も小さくて、全然目立たない感じの女の子なので、どう撮影しようかなーと思っていたのですが、自分でもってきた着物をきてカメラの前に立つと、カメラレスポンスがすごくいいのです。
いくら美人でもカメラレスポンスの悪い人は写真ではもう箸にも棒にもひっかかりません。 それよりもチンクシャでもちょっとブスなかんじでもカメラレスポンスがいいとおどろくほどいい写 真が撮れちゃいます。 モデル撮影は相手との撮影のリズム感が一番重要な要素です。今日はロックンロールで行くのか、それとも演歌調なのか、それともしっくりとバッハの平均率のように、とかですね。そういうリズムがシャッターを切っているうちに生まれてくればもう至福の撮影環境になってしまいます。
コダックのNC400とフジのRSP1600使用。

本来モデルはフォトグラファーが育てていくべきものです。
欧米のポートレートやファッション写真に味があるとすれば、それは単純に彼我の歴史の差だけではなく、フォトグラファーとモデルたちがいい写 真をつくろうとプライベートの時間までいろいろと努力を積み重ねてきたみえない時間の蓄積があるからでしょう。
60年代にダイアナ・ブリーランドがVOGUEの編集長だったころ、カバー写真はバート・スターン、リチャード・アベドン、アービング・ペン、デビット・ベイリーと当時はやりの若いフォトグラファー2人が同じ日に撮影して、6枚の写 真を壁に並べてその中から1枚を選ぶというなんともぜいたくなことをしていたそうです。各フォトグラファーにはお気に入りのモデルがいて、たいていはいっしょに暮らしていたようですね。
プレイボーイで有名なデビット・ベイリーはこういっています。「モデルはフォトグラファーと寝なきゃだめってわけじゃないけど、そうしたほうがいいにきまってる。だってそうすれば写 真に愛の魔法がかかるからね。」
ま、これもベイリーにしかいえない言葉だとおもいますけど、彼の言いたいことはフォトグラファーが単なるモデルのスタイルやファッションをスタイリッシュな手法で撮影するというようなことにはあまり意味がないといっているのだと思います。彼の重視したことはモデルの人間性をカメラで切り取っていくことでした。要は人間の写 真を撮るということはファッション写真の分野においてすら人間と人間、個性と個性のぶつかり合いであるべきで、そこに写 真のスタイルなんてもちこむ余地なんてないよ、って言っているんでしょうね。